お知らせ
2024.08.27

富山県氷見在住の魚料理研究家「昆布」による連載コラムvol.38

「富山湾の魚と、それに関わる昆布さんの日々についてのコラムを書いてもらえませんか?」

というお声がけを、海と日本PROJECT担当の富山テレビの方にしていただいたのが、3年と少し前。
当時は自分にとってはじめての店となる前店がオープンしたばかりの頃。果たしてこれから先この事業で生計は立てられるのか、と不安でいっぱいの時でした。

これまでとこれからのことを

その後たくさんの方に助けられながら何とか店営業を続けることができ、去年の8月には移店をし、自分の理想の店舗を作り上げることができました。
私生活では結婚し、子供をもうけ、息子はもう2歳を迎えて日に日に成長する姿を見せてくれています。

震災に遭い、液状化による店舗の傾きによって営業再開が見通せない状況は続いてはいますが、家族が共にいてくれることの尊さを日々実感する日々を現在は過ごしています。

そんな3年間の港町における生活の中で感じる感情の機微を、日毎変わる魚の旬のサイクルを交えながら、つらつらとこちらにしたためてきました。
回を重ねるにつれ、次第にこのコラムの執筆は数あるお仕事の中でも特別なものになりました。

しかしこの度思うところがあり、今回にてこちらのコラムを終了することに決めました。

自分の魚にかける想いや、港町に暮らすことの面白さを発信する機会が無くなることは非常に寂しいことではありますが、新たな道に進むために決断をした次第です。最後に3年間の振り返りと感謝を丁寧にしようと思いましたが、こんなことになるとは思わず昨年末に同じようなことをしてしまいました…笑

なので今回は趣向を変えて、ぶっきらぼうな自分の素の言葉で、とりとめもなく移住してから今までの事業や生活、そしてこのコラムを終了させていただく理由を思いついたままつづっていこうと思います。

どうぞお付き合いをーーーー

氷見との出会い

氷見を初めて訪れたとき、私は25歳だった。

感情の尖りを抑えきれずに前の職場では衝突を繰り返し、疲れ果てた末にこの土地に辿りついた。目が輝く新鮮な魚、夕日に照らされた雄大な立山連峰、ぶっきらぼうだけど温かな地元の人々。初めて触れる氷見の様々な魅力に心を打たれ、初旅行の際に移住を決心してしまった。

それから5年がたち、私は30歳になった。
様々な方と出会う中で(特に移住直後に出会った妻の存在が大きい)、衝突よりも理解を選び、落ち着いて物事を捉えられるようになってきたような気がする。

「あぁこの5年間本当に色々なことがあった。」

「移住しても ”自分なら” 何とかなるだろう」という移住前に抱いていた根拠のない自信は、実際に会社を離れほとんど知り合いのいない土地で暮らすことによって、早々に打ち砕かれた。自分の能力とは、所詮会社に求められたことを遂行できる力に過ぎなかったと、殆どあてのない氷見での暮らしの中で気づかされたのだ。

その後は右も左もわからないまま車を買って富山県中の様々な場所に顔を出し、人とのつながりを得ることに奔走した。なぜならあの当時私は魚をさばくことしかできず、それ以外自分に自信があることが無かったから。身勝手にも、そんなまっさらな自分を「何者か」に定義してくれるような人を見つけたかったからだ。

しかし当然最後は自分が自分の未来を決めなければいけない。

それからは、この土地でまた会社員をやるべきなのか。それとも自分で事業をやるべきなのか。
だったらこれから自分がやりたいことは何なのか。日々自問自答を繰り返した。

サカナとサウナ

その日々の末、料理に関する事業を興したいという漠然とした想いが芽生えてきた。

ーーー自分の能力を活かすには、魚専門の料理人になるのがいい。

しかし魚捌きができるだけの自分がいきなり料理人を名乗るのはおこがましいから、日々魚料理をせっせと研究しているという事実を加味して、「魚料理研究家」を自称しよう。そういや氷見でできた友達が急に私のことを「昆布」と呼び始めたな。キャッチーだしこの名前を自分の名前にしてしまおう。屋号は、もうこれ以降自分の好きなことしかしたくないという意味をこめて「サカナとサウナ」にしてしまえーーー

そんな思い付きの連続で生まれた、
「サカナとサウナ主宰 魚料理研究家 昆布」。

その奇妙な3つの名に説得力を持たせるために、それ以降はとにかくがむしゃらに働いた。コロナ禍を打開するためのオンラインでの魚料理教室、県内外へのイベント出店、魚に関するリーフレットの刊行。今思い返すとどうやってそれで生計を立てるんだと呆れてしまうような事業を、後先考えず全力で行っていた。

そんな根無しの日々の末、3年前に様々な出会いときっかけを手繰り寄せて、何とか店を作った。学生時代のカフェバイト以外ろくに飲食店経験はなかったが、営業する中で経験する一つ一つの失敗を糧にしながら、なんとか2年続けることができた。

その間で出会えた人たちには本当に感謝しかない。
このコラムを企画してくれた富山テレビの皆さん、お料理コーナーを担当させてくれたKNBテレビ・ラジオの皆さん、僕の愚痴を笑いながら聞いてくれる常連たち、店を飛び出して開催した音楽フェスに力を貸してくれたミュージシャンたち。
ひとつひとつの思い出の中に、しっかりと皆さんの顔が浮かぶ。

そして1年前、魚とサウナへの愛を存分に注ぎ込んだ施設をオープンさせた。目の回るような忙しさの中、以前にもまして様々な方との出会いがあった。

これが10年、20年と続いていく、今後の店と自分の未来が非常に楽しみになった。

あの日を経て

しかしその未来は、今年の元日に突然見えなくなった。

店舗は能登半島地震の液状化による被害を受け、休業を余儀なくされたからだ。
これまでにもたくさんの試練はあったが、こんなにも乗り越えられそうにないことは初めてだった。

その後1週間、2週間とこれまでにないほどひどく落ち込んだが、多くの方たちの励ましを受けて何とか再び立ち上がることができた。

新たな未来

それからというもの、店を作る前のがむしゃらだった気持ちを奮い起こし、できることを何でもやった。
差し伸べられた手を、一つ一つしっかりと掴んだ。空いた時間は学びの時間と捉え、様々な本を読み漁った。

そんな日々を過ごす中で、新たな未来が見えてきた。

まだはっきりとここに書くことができないのが残念だが、また自分の全てをかけて取り組みたい目標を見つけたのだ。
そしてこれから5年から10年はその目標を達成するための修業期間と捉え、ただひたすらに努力したいという想いから、このコラムの終了を申し出た、という訳だ。

ーーー

さいごに

最後に改めて、このコラムを企画・編集してくださった富山テレビの皆さん、とりとめもない港町の日常を毎月のぞいていただいた読者の皆さんに感謝を申し上げる。
みなさんのおかげで私はライフワークを得て、それにただひたすらに打ち込むことができた。

自分から終了を申し出ておいて勝手ながら、このコラムを通して出会ってきた人(リアルでも文章の中でも)との別れは、なんとも寂しい。

ただ私は同時に、すべての出会いは偶然でありながら、なにかの必然だと信じている。
これからの日々は、また逢う日までの空白だと信じている。

また逢う日まで

その時はまた、氷見にて。

3年間、本当にありがとうございました!

サカナとサウナ主宰
魚料理研究家
昆布

 

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